埼玉県熊谷市で2009年、小学4年生の小関孝徳さん(当時10歳)が車にはねられて死亡した事件はいまも解決していない。
運転手は名乗り出ず、捜査は難航したままだ。2台以上の車が関与したとみられ、警察は2019年、容疑を「自動車運転過失致死罪」から公訴時効がより長い「危険運転致死罪」に切り替えて捜査を続けている。
時効まで残された期間は4年を切り、遺族らは「時効撤廃」を求める声を上げている。
そうした中、衆院の内閣委員会で11月19日、立憲民主党の森田俊和議員がこの事件に触れ、死亡ひき逃げ事件の現状や時効撤廃について質問した。
政府は「逃げ得は許さない」としながらも、時効撤廃に関しては「公訴時効制度の趣旨や他の犯罪との均衡の関係から、慎重な検討が必要」との姿勢を示した。
国会では、昨年中に時効を迎えたひき逃げ事件が3件あったことも明らかにされた。
殺人など一部の重大犯罪では時効が廃止されているにもかかわらず、ひき逃げではなぜ時効が残されているのか。時効撤廃にはどんなハードルがあるのか。澤井康生弁護士に聞いた。
●「死亡ひき逃げ」はどんな罪に問われる?
──死亡ひき逃げは通常、どのような罪で立件されるのでしょうか。
死亡ひき逃げは、主に2つの犯罪から構成されます。
1つ目は、運転中に交通事故で人をひいて死亡させたことで成立する「自動車運転過失致死」(自動車運転処罰法5条)。法定刑は7年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金で、公訴時効は10年です。
2つ目は、被害者を救護せずに現場から逃走したことで成立する「救護義務違反」(道路交通法72条)。法定刑は10年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金、公訴時効は7年です。
このため、死亡ひき逃げは、過失致死と救護義務違反の併合罪となり、刑の上限は15年以下の拘禁刑となります。ただし、あくまで上限であり、実際の量刑は3年前後となるケースが多いと考えられます。
これに対し、今回のケースで埼玉県警が容疑を切り替えて捜査している「危険運転致死」は、制御困難な高速運転、赤信号無視、重度の飲酒など、とくに危険な状態で運転した結果、人を死亡させた場合に成立します。法定刑は1年以上20年以下の拘禁刑で、公訴時効は20年です。
この場合は、危険運転致死と救護義務違反の併合罪となり、理論上の上限は30年以下の拘禁刑です。ただし、こちらも実際の量刑は10年前後になるのではないかと思われます。
最近の裁判例でも、危険運転致死と救護義務違反で起訴された事件で、懲役9年が言い渡された例があります(名古屋地裁令和6年11月13日判決)。
●公訴時効はなぜ存在するのか?
──公訴時効が設けられているのはなぜでしょうか。
公訴時効制度の趣旨は、一般的に次の2点とされています。
(1)時間の経過により、社会的な処罰感情が薄れていくため(実体法的理由)
(2)時間の経過により証拠が劣化・散逸し、公平な裁判が困難になるため(訴訟法的理由)
ただし、被害者や遺族の立場からすれば、何年経過しようと処罰感情が薄れるとは限らず、制度の趣旨と感情が乖離している面も否めません。
●時効撤廃にはどんなハードルがある?
──死亡ひき逃げの時効を廃止または大幅に延長する際の課題は何ですか。
死亡ひき逃げの時効廃止が容易ではない理由の1つは、おそらく救護義務違反の前提となる自動車運転過失致傷が「過失犯」であり、もともと法定刑がそれほど高くないことです。
犯罪は、大きく「故意犯」と「過失犯」に分かれます。
故意犯(殺人・傷害など)は、「わざ」と犯罪を実行するため、非難の程度が強く、法定刑も高く設定されています。
一方、過失犯(過失致死傷など)は、犯罪の意思がなく、「うっかり」して注意義務を怠ることで成立することから、非難の程度が低く、法定刑も軽く設定されています。
ひき逃げでは、「逃げた」部分(救護義務違反)は故意犯ですが、「ひいた」部分は過失犯です。
また、人身事故の多くは、危険運転致死でなく自動車運転過失致死で処理され、同罪のみなら執行猶予になるケースが圧倒的に多いです。
強盗や傷害など、より悪質で法定刑も高い故意犯ですら時効が廃止されていない中で、ひき逃げだけを廃止・延長することには「刑罰体系上のバランス」の問題も生じます。
立法的な選択肢として、時効を廃止または大幅延長し、「逃げ得」を許さない制度改革は重要ですが、ひき逃げの量刑がそれほど高くないこと(自動車運転過失致死だと3年前後、危険運転致死でも10年前後)を踏まえると、他の犯罪とのバランスをどう調整するかが大きな課題となります。